今回は嫌いな相手が頭から離れないときに、ある種の問いというか仮説を立ててみることで嫌いな相手に囚われるのを解消してみようという内容です。
嫌いな相手が頭から離れないときに想像すると有益なこと
嫌いな相手はどこにでもいます。関係性を盾にして、「俺に嫌われたくないなら俺の言う通りの行動や態度を取れ」とか「俺の思い通りに動かなければペナルティだ」と言って仲間外れにしたり、嫌味を言い続けたり、無茶な課題を押し付けてきたりします。そうしてこちらが根負けして相手に従うことで相手に都合のいい成果を得ようとする人たちです。
そういう相手が現れると自分がちょっと心休まる時間にふと相手の顔が浮かび、そうした人に対して「今度顔を合わせたらまたひどいことを言われるのだろうな」と考えてしまう。
自分の時間が「相手にやられないためにはどう言い返そうか」みたいなことに囚われていき、時間が溶けていきます。
そういうときに次のように考えてみたらいかがでしょうか、という話をしていきます。
嫌われないようにすることに何か意味があるのでしょうか?
私は日本の教育システムで育ったので、その経験で話をします。日本の教育システムでは「嫌われるのは悪いことです」と教えます。
小学生が担任の先生の言うことを素直に聞くという段階では有効な方法ですが、上のような自分を不幸に巻き込む人にそれを適用すると非常にまずい状況になります。
向こうは嫌われたくないなら言うことを聞けと言っているわけです。すると嫌われないために相手に都合の良い選択しかできません。嫌われたくないなら借金しろ、怪我をしろ、と言われても黙って聞き入れるしかない。
それではいけないわけです。
嫌いな人で頭が占められているときは、相手に嫌なことを言われるか、言われないかということを気にしています。嫌なことを言われたらどうしよう、みたいなことを気にしているわけです。
そういうときは次のように考えてみることが大切です。
「仮に相手が何か言ってきたとして、何か問題があるのだろうか?」
つまり嫌われるかどうかだけが問題で、そこを気にしていることが大半なのではないでしょうか?
状況を整理してみましょう。
相手の言うことにそのまま従えば自分が不利になったり傷ついたりする。
相手に従わなければ自分が傷ついたりつらい思いをする。
だから自分が不利にならないような人だけが周りにいてほしくて、そういう人の中で嫌われずに過ごしたい。でも自分が不利になる、自分のことが嫌いな人が周りにいる、どうしよう、どちらを選んでもつらい思いをする。
という袋小路にいるわけです。
論理的に考えてみましょう。
自分を嫌う人が自分のことを好きになることはありません。好きなら自分を脅してきたりするはずがありません。
つまりどういう選択をしてもつらい思いをします。
まずはどう転んでも状況がよくなることはないと受け入れることが大切です。
そのうえで対応を決めるしかありません。
たいていは実力行使で殴られることは稀です。ほとんどは嫌味を言われるとか、ターゲット枠で無意味に叱責されるとかじゃないでしょうか?あるいはありえないノルマを自分だけ背負わされるとか。
そういうときはそういうことがまず起きるだろうと考えてみることが大切です。起きないようにすることはもう無理です。最初から相手はこちらに好かれようとか考えていません。相手にとって自分はどうなってもいい対象で、だからこそ脅してきているのですから。
嫌味を言われるレベル
そのうえで考えてみましょう。
まずは嫌味を言われること。
これは聞き流せばいいのではないでしょうか。そういうことを言われたくないから言われないようにしよう、でも無理だからどうしよう、みたいなことを考えていても解決不能解を探す無意味なグルグル思考に陥るだけです。
そもそも相手は、特に間違っていないこちらを言い方を変えて悪く言ってくるだけです。何か言ってきても、正論ではこちらが正しいのですから、壊れたラジオが雑音を言っているくらいに思っていればいいのではないでしょうか。
嫌われたらどうしよう、という単純論理で嫌われることは悪いことだし、でも嫌ってくるしどうしよう、みたいな無駄な悩みを抱える必要はありません。
正しさがこちらにあるのなら、正しさを守ればいいだけです。相手は正しいこちらが心理的に気持ちの面で弱ってつけ入る隙ができないかなあ、と揺さぶりをかけているだけですから。
ターゲット枠とムリゲーのノルマ
こうなると実害があるのですが、ターゲット枠とムリゲーのノルマは上の嫌味の拡大版で、上で述べたように正しさがこちらにあるから、弱ってつけ入る隙ができないかなあ、と叱責とか見せしめという手段で揺さぶっているだけです。
無理すると意味ないので、正直なところその上司みたいな人の下では成功はないものと割り切ったほうが後々のためかもしれません。相手に従えば壊れるまで言うことをきかされるでしょうし、相手に従わなければつらい気持ちになります。
つらい気持ちに耐えられないなら壊れる前に手を引いたほうが無難です。どちらにしても壊れるならまだ手を引いて壊れないほうが再起のチャンスがあります。壊れるとチャンスがなくなるので。
壊れたラジオを聴いているくらいの感覚で自分の正しさが逃げないように守れるなら、正しさを失わないように注意して、おかしな契約をせずにまともに相手にしないように過ごしましょう。相手はまともじゃないのですから、まともに相手にしても無駄です。
仮に嫌いな相手が嫌味を言ってきたとして、それで現状が大きく変わることはない
何回も登場していますが、嫌味を言って誘導しようとする相手は、関係性を出し入れして、こちらを揺さぶって、相手に都合の良い成果が得られないかな、と一種のガチャを回しているだけです。どうなってもいい相手なら何をしてもいいと考えているので、ためらわずに何回かに一回は当たりそうなガチャを回しているのです。
相手が揺さぶってくるのは、こちらに正しさや憧れるものが見えていて、それを壊したいからガチャに賭ける、みたいなことをやっているわけです。
自分の正しさを見失わない、手放さないことが大事です。仮に嫌味を言われたって、こちらが正しいことを手放さなければ、たいてい相手にはどうすることもできません。議論しても負けるから感情に訴えたり、足を引っ張ったりしてあなたという城を崩そうとしているわけですから。
嫌われるのは悪いことです、という教えは大人にとっては正しい教えではありません。大事なことを手放さないことが大事です。
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相手がガチャを回したからといって、こちらも悪いガチャで反撃しようとかは不毛なのでやめておきましょう。相手にしないのが一番です。