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プレーヤーと監督を使い分ける【両利きの経営】

今回は日常の気の持ちように関する話題です。

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就職活動で部活ができる人が有利なのは何故か

私が就職活動をしていたころ風の噂で「就職するときは部活(運動部)ができて成績がそこそこの人が採用される」という話を聞いたことがあります。

いきなり何の話さ?

今回のテーマは「プレーヤーと監督」です。

簡単に言うと、「仕事は基本的にスポーツのプレーヤーとしての能力」が要求され、管理職になると「監督」の能力が要求されるという話です。

プレーヤーとしての能力と監督としての能力

プレーヤーというのは「仕事をうまくやる」能力のことです。実際の現場作業に対して気が回って、丁寧な仕事ができるということです。

それに対して監督というのは「仕事がうまくいく仕組みを作る」能力のことです。実際の現場作業そのものについて、改善や管理ができるということです。

新人に求められるのはプレーヤーとしての能力

まず仕事の現場がわからないのに監督になるとまずいというのは容易に想像できます。現場のケガをしやすいところとか、問題が起きそうなところは現場の仕事がわかっていないと把握できません。

リスクを把握していないのに管理職になったら、まずい結果になりそうだ、くらいのことは容易に想像できます。

だからまずはプレーヤーとして機能することが求められます。

新人で現場の仕事がわからないのに、常に仕事の仕組みについて監督のように考えて現場の仕事をちゃんとやらない新人を想像すれば、企業がプレーヤーができる人材を求めるのは当然でしょう。

まずはちゃんと与えられた仕事してよ、となるよね

日常生活でもプレーヤーとしての能力を軽視してはいけない

よく新しい仕組みや新しいアイディアが大事と言われます。それ自体は正しいのですが、私はよく家庭で家族と過ごしていると「当たり前のことが当たり前にできない」「気が回らなくてイライラする」とよく言われます。

私は性格的に新しいものや実験を好む傾向があります。つまり監督的なことに興味の軸があって、プレーヤーとして仕事を覚えるよりも、新しい仕事そのもの、新しい興味のあることを追求する傾向があります。

すると日常のちょっとしたお手伝いも丁寧さが足りず、よく注意されます。

みんなで共同生活をしていれば、各々に期待される役割が存在して、そこではうまいプレーヤーとしての能力が求められます。

つまり私は家庭での役割を丁寧に行わないために家族から注意されるわけです。

特に夕飯の食事の準備は段取りを乱すと注意されているよね

仕事でも最初に求められるのはプレーヤーとしての能力ですから、部活でプレーヤーとして活躍できるというのは仕事でもプレーヤーとして丁寧に動けるとみなされるために、採用で考慮されるというのは理にかなっていそうです。

一応部活しかできないと仕事を覚えるとき苦労するので保険として勉強もそこそこできるというのも考慮するのでしょう。ある意味部活もできて勉強もできるというのは、それだけ同じ時間で仕事の処理能力が高いとみなされます。同じ時間で部活だけできました、勉強だけできました、よりは両方それなりにできましたのほうが処理能力は高そうですよね。

逆に監督的なことばかり考えていてプレーヤーとして機能しない新人は、あまりイノベーションとか新しい風とかそういう業務が重視されない社風ではあまり採用したくないというのは容易に想像できます。上司に文句ばかり言って、与えられた仕事を丁寧に上手にやらない新人とか相手にしたくないですよね。上司も自分だけでは手が足りないから部下を使って仕事をするわけですから。そこが機能しない新人はあまり受け入れたくないでしょう。

まず自分の役割がうまくできるというのが大前提だよね

監督とプレーヤーを使い分ける

そうはいっても、プレーヤーとして経験を積んでいけば、あるとき「監督をやってね」と言われるのは容易に想像できます。

そういうときに「私はプレーヤーしかできません」と困らないためにも「監督的な思考」を磨いておいて損はありません。プレーヤーとして一生を終えることができるポストには限りがあります。そういうときに監督的なポストが罰ゲームになっている場合、そこに適応できるのは大きなアドバンテージです。

まあどっちもできたら楽でしょうね

しかしながらこの二つは競合するというか、同時にやろうとするとどちらかの思考がもう片方の思考の足を引っ張ります。

最近は両利きの経営というのが話題ですが、このとき「探索」と「深化」は別々に成長させないといけないと説明されます。

仕事に当てはめれば「探索」が監督、「深化」がプレーヤーです。

つまり監督的なことを考えているときはプレーヤーとしての内容を考える時間がなくなり、プレーヤー的なことを考えていると監督としての内容を考える時間がなくなります。

だから私は家族から「使えない」と批判されるわけです。まずプレーヤーとして完璧に振舞ってくださいと期待されるわけです。そうすると監督的な内容は一切できないわけですが…。

とはいえ監督的な思考が先行しすぎているとみることもできます。

そこでそういう人はプレーヤーに少し思考を傾けてみましょう。

仕事をしているときに少しだけそれを丁寧にやる。監督的なイノベーションのことを考えているだけが人生の価値ではないと気づきましょう。

アイディアを発見することだけが大事というわけでもないことも多いよ

プレーヤーとしてうまく振舞っても、本質は監督なので、放っておいても勝手に監督的なことは頭が考え始めます。

監督側に振り切っている頭のリソースを、プレーヤーにも振ってみましょう。

そうすれば、監督的な仕事を求められても対応できるし、新人時代にプレーヤーとして役立たずとつま弾きになることもありません。まさしく「両利きの経営」が実現できます。

まとめ【プレーヤーと監督で両利きの経営をする】

今回はプレーヤーと監督という役割分担と仕事の関係について書きました。

監督的な思考が多い新人の方は、プレーヤーとして仕事を丁寧に行うことも重視するとより道が開ける可能性が高まるでしょう。

どっちかにリソースを振り切らないでどっちもそれなりに対応できると便利だよ

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